昭和6年に4年の歳月をかけ構築され豊後水道一帯の守備要塞として重要な役割を果たした軍の要塞跡。当時、巡洋艦「伊吹」搭載の30cm「カノン砲」が2門設置され、昭和17年1月に実弾による試射が行われた際に、最後の一発が砲口内で暴発し多数の死傷者を出す大惨事が起きたため「悲劇の砲台」と言われる。現在では施設内も整備され、観光地として蘇り、県外からも観光客が来られている。